こんにちは。もとこです。
この育休に入ってから、ゆる~くヨガを始めました。
そんなわけで、年末に初めて「ヨガジャーナル日本版 vol.78」を購入。
読んでみると、ヨガ的な考え方について書かれた記事のなかに、心に響く言葉がありました。
読んでから少し経って、なお心の中に残っている言葉たち。
今日はそちらをご紹介します。
1.8歳か9歳のころに好きだったことを思い出してみるといいの。
アメリカ版ヨガジャーナルの翻訳記事より。
女性作家2名が、創造性について対談していました。
「創造的でありたいけれど、何をしたらよいのかわからない」という質問への答えとして出てきたこの言葉。
8~9歳のころにはすでに、無意識のうちに自分を落ち着かせる創造的な方法を編み出していたはず。
大きな夢がなければ、そういったことから始めてみるとよいとのこと。
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私も「何がやりたいのかわからない」と感じることがよくあったので、なるほどと昔を思い返してみました。
8歳か9歳…小2~小3くらいでしょうか?
何が好きだったか。
覚えているのは、ピアノを弾くこと・絵を描くこと・本を読むこと・お裁縫。
読書は今も続けているけれど、音楽や絵・お裁縫からはかなり遠ざかっていたことに気がつきました。
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せっかく時間もあるので、キーボードを買って簡単な曲を弾いてみたり、編み物を習い始めたりしているここ最近。
とても楽しくて、自分の内側が喜んでいる感覚があります。
こういう感じは久しぶり。
「創造的」なんて大それたものではないですが、生活が豊かになったのは確かです。
きっかけをくれたこの一節に、とても感謝しています。
2.ヨガでは自分の肉体は神殿だと考えられているんだ。
私は、ストレスがたまるとすぐに食に走ってしまうタイプです。笑
食べすぎてしまって罪悪感にさいなまれることもしばしば。
でも、自分の肉体が神殿だったらどうするか?
清潔に整えて新鮮な供物(食事)を捧げるでしょうし、多少古くなっても手を加え、飾り、大切にするでしょう。
私たちは自分の肉体もそのように扱わなければいけないのです。(p.124.)
確かに…!とちょっと感動しました。
自分の身体は、自分のものであって自分だけのものではない、のかも?
すこし高い視点から自分の身体を大事にしよう、と思わせてくれた言葉でした。
お風呂で体を洗うとき、スキンケアをするとき、食事をするとき。
「肉体は神殿」という言葉を思い出すと、いつもよりもすこし丁寧に、心をこめてできるような気がしています。
3.ご褒美の裏には、時に「犠牲への報酬」が見え隠れするようです。
こちらも食べ物関連。
ストレスを感じると甘いものを食べすぎて後悔してしまうという、まるで私のような方からのお悩みへの回答でした。笑
自分を何らかの犠牲者と感じることで、「頑張ったんだから、これくらい食べてもいい!」と思い食に向かう。
あるあるです…。
この記事を読んだあと、やけ食いしそうになるたびに「犠牲者」という言葉が頭に浮かびます。
私は何の犠牲になったと感じているんだろう?と。
私の場合、たいていそれは子育て。
逃れようもないのですが、まずは気づくことが大事かなと感じています。
自分をいましめることなく、歩み寄ってみましょう。(p.142)
という教えのとおり、食べてしまう自分を押さえつけるのではなく、「そういうときもあるよね~」と受け入れることを練習中です。
すぐには変わらなくても、すこしずつ変わっていけたら…と思っています。
まとめ:ヨガ哲学って深い!
この記事を書いてみて、改めてヨガ哲学の深さを感じました。
機会があれば本も読んでみたいです。
学ぶことで、もっと自分にやさしくなれる気がします。
これからの人生は、自分にやさしく生きていきたいなぁ。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。